福岡県北九州市小倉北区のお客様 札幌オリンピック 記念小判 買取致しました!
ご覧いただきありがとうございます。
おたからや小倉中津口店の植波です!
今回買取させていただいたお品物は札幌オリンピック 記念小判です!
ありがとうございます!
江戸幕府時代に貨幣として流通されてきた小判、時代劇でよく見るというかたも多いのではないのでしょうか?今回は様々な小判についてご紹介させていただきます。
小判にもいろいろありますが、江戸時代の徳川家康の天下統一を象徴する、江戸幕府による初期の貨幣として重要な位置を占めるのがこの慶長小判と言えます。
慶長小判は慶長6年(1601年)から元禄8年(1695年)に鋳造された小判で、品位は金85%/銀14%、質量17.73gです。
慶長小判は慶長6年(1601年)から元禄8年(1695年)に鋳造された小判で、品位は金85%/銀14%、質量17.73gです。
関ケ原の戦いのあと天下統一をはかった徳川家康が、全国に通用することを目的に鋳造した小判がこの慶長小判で、慶長一分判とあわせて慶長金(けいちょうきん)、慶長銀とあわせて慶長金銀(けいちょうきんぎん)と呼ばれています。
万延元年4月9日(1860年5月29日)から鋳造がはじまった万延小判は、翌4月10日(1860年5月30日)より通用が開始された額面一両の小判です。
江戸幕府最後の小判でもあり、幕府が消滅する慶応3年(1867年)8月6日まで製造されました。
江戸幕府最後の小判でもあり、幕府が消滅する慶応3年(1867年)8月6日まで製造されました。
万延小判は新小判、もしくは雛小判とも呼ばれています。また、万延小判と万延一分判をあわせて万延金(まんえんきん)と呼びます。
品位は金60%/銀40%、重量が3.30gで、とくに小さな小判となっています。
品位は金60%/銀40%、重量が3.30gで、とくに小さな小判となっています。
天保小判は天保8年7月21日(1837年8月21日)から鋳造がはじまり、同年11月15日(1837年12月12日)より通用開始されました。
一両としての額面を持つ小判で、保字小判(ほうじこばん/ほじこばん)とも呼ばれています。また、品位は金56.77%/銀43.23%、重量は11.20gとなっています。
一両としての額面を持つ小判で、保字小判(ほうじこばん/ほじこばん)とも呼ばれています。また、品位は金56.77%/銀43.23%、重量は11.20gとなっています。
江戸時代に鋳造された8番目の小判である天保小判は、ローラーを利用した延金作業が行なわれた初めての小判です。このように鋳造技術が向上したため、より美しい小判が作られるようになりました。
徳川綱吉が江戸を治めていた時代、財政難に陥り勘定吟味役の荻原重秀主導のもと、元禄8年(1695年)に元禄小判の鋳造が行われました。
この時、いままでの小判の金の含有量が四匁(約15g)だったのに対し、元禄小判は二・六匁(約10g)と、およそ3分の2ほどに減らしました。
これで2枚しかできなかった小判が3枚作れるようになりました。つまり小判の質を落とすことによって、幕府の財政を立て直そうとしたのですが、結局一時しのぎで結果的に深刻なインフレーションを起こすきっかけとなってしまいました。
この時、いままでの小判の金の含有量が四匁(約15g)だったのに対し、元禄小判は二・六匁(約10g)と、およそ3分の2ほどに減らしました。
これで2枚しかできなかった小判が3枚作れるようになりました。つまり小判の質を落とすことによって、幕府の財政を立て直そうとしたのですが、結局一時しのぎで結果的に深刻なインフレーションを起こすきっかけとなってしまいました。
いかがだったでしょうか?
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