福岡県北九州市小倉北区のお客様 K18 地金まとめ 買取致しました!
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おたからや小倉中津口店の斎藤です。
今回は、北九州市小倉北区のお客様より、 K18 地金まとめてお買取りさせていただきありがとうございました。
K18(18金)の歴史は、人類が「金の美しさ」と「道具としての強度」を両立させるために生み出した、ハイブリッドな合金の歴史です。
純金(K24)は非常に柔らかく傷つきやすいため、ジュエリーなどの実用加工には不向きでした。
そこで「金75%+他の金属25%」という黄金比であるK18が誕生し、数千年にわたり愛され続けています。
K18の「18」という数字は、全体を「24」とした場合の金の含有量を表しています(24分の18=75%)。
なぜ100%ではなく24分率なのかという点には、歴史的な諸説があります。
古代ギリシャや地中海沿岸では、重さがほぼ均一な「イナゴマメ(Karatの語源)」が天秤の分銅代わりに使われ、基準が「24個分」とされていました。
古代エジプトでは、1日を24時間とする考え方(太陽信仰)に基づき、最も神聖な金属である金の純度も24分率で表すようになったと言われています。
この時代からすでに、強度を高めたり色合いを調整したりするために、純金に銅などを混ぜた18金相当の合金がファラオの装飾品やローマ軍人の指輪として使われていました。
中世ヨーロッパに入ると、18金は主にキリスト教の十字架や貴族の財産として重宝されます。
14世紀頃からはイギリスなどを中心に、職人(ギルド)たちが金細工を作る際、「18個分のイナゴマメの重さの純金」と「6個分の他の金属」を混ぜて18金を作る手法が標準化されていきました。
ルネサンス期には芸術性が爆発的に高まり、ただの富の象徴だけでなく、非常に緻密な彫金が施された豪華なK18ジュエリーが作られるようになりました。
19世紀のイギリス・ヴィクトリア朝時代になると、産業革命による富裕層の拡大やゴールドラッシュにより、金の流通量が急増します。
1920年代には直線的な幾何学模様が流行し、割金(残り25%の金属)の配合を変えることで、ホワイトゴールドやピンクゴールドといった多様な色彩のK18が生み出され、表現の幅が広がりました。
日本で日常的なジュエリーの素材としてK18が定着したのは、戦後の高度経済成長期(1960年代以降)です。
日本国内で製造・検定されたものには、信頼の証として「K18」の刻印や造幣局の「ホールマーク」が刻まれる文化が定着しました。
現代においてK18は、世界的な金価格の高騰により「身に着けられる資産」としてかつてないほど価値が高まっています。
当店もブランド品はもちろん、時計・アクセサリー・貴金属・商品券・切手・古銭・古美術品・家電など多種多様に買取を行っておりますので、お気軽にお立ち寄りください。
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