福岡県北九州市小倉北区のお客様 K18Pt900コンビカフス 買取致しました!
当店ホームページをご覧いただき有難うございます。
当時の日本の鋳造(型に金属を流し込む技術)において、融点が高く粘り気の強い純プラチナやPt950は、気泡が入りやすく精密な加工が非常に困難でした。 試行錯誤の末、プラチナに10%のパラジウムやルテニウムなどの「割り金」を混ぜることで、適度な硬度を持たせつつ、型に流し込みやすい流動性を確保できることが発見されました。 これが日本独自のジュエリー品位としてのPt900の起源です。
1960年代から1970年代にかけて、ダイヤモンドの婚約指輪や結婚指輪を贈る習慣が定着しました。 日本人は、ゴールドの華やかさよりも、控えめで気品のあるプラチナの「白い輝き」を好んだため、プラチナ需要が急増しました。
歴史的に見ると、Pt900は欧米の真似ではなく、「日本の限られた加工環境の中で、いかに美しいジュエリーを日常使いできるようにするか」という、日本の職人たちの知恵と技術から生まれた結晶と言えます。
当店もブランド品はもちろん、時計・アクセサリー・貴金属・商品券・古銭・古美術品・家電製品など多種多様にお買取りを行っておりますので、お気軽にお立ち寄りください。 スタッフ一同心より皆様のお越しをお待ちしております。
おたからや小倉中津口店斉藤です。
今回は、北九州市小倉北区のお客様より、 K18Pt900コンビカフスをお買取りさせていただき有難うございました。
Pt900(プラチナ900)の歴史は、融点が高く加工が困難だったプラチナをジュエリーとして実用化するための技術革新と、日本独自のブライダル市場の発展によって築かれました。
純度90%のプラチナに10%の他金属を混ぜることで、美しさと高い耐久性を両立したこの素材は、日本の宝飾文化において極めて重要な役割を果たしています。
19世紀末〜20世紀初頭は、人類とプラチナの出会いは紀元前まで遡りますが、プラチナは融点が約1768℃と極めて高いため、長年「溶けない金属」として大規模な加工ができませんでした。
1900年頃の転換期で、ドイツの科学者らによって、プラチナを安定して溶融する技術が開発されました。
フランスの高級宝飾店カルティエのルイ・カルティエが、この技術を用いてプラチナを初めて本格的な高級ジュエリーへと採用しました。
この時代、ヨーロッパでは王侯貴族向けに純度95%のPt950が主流の品位(規格)として定着していきます。
日本にプラチナジュエリーの文化が本格的に流入したのは明治から大正時代にかけてです。
欧米の高度な職人技(繊細なミル打ちや爪留めなど)が伝わるなかで、日本の職人たちは独自の加工・鋳造技術を模索しました。
