福岡県北九州市小倉北区のお客様 Pt850 ネックレス 買取致しました!
当店ホームページをご覧いただきありがとうございます。
おたからや小倉中津口店の斎藤です。
今回は、北九州市小倉北区のお客様より、 Pt850 ネックレスをお買取りさせていただきありがとうございました。
Pt850(プラチナ850)の歴史は、プラチナという「加工が極めて難しい希少金属」を、日本の職人や技術者が「日常的に使える実用的なジュエリー」へと進化させてきた歴史そのものです。
プラチナ自体の歴史は古く、古代エジプト時代から存在していましたが、融点が約1,769℃と非常に高いため、長らく本格的な加工ができませんでした。
1900年頃に溶融方法が開発されると、フランスのルイ・カルティエらによって本格的なジュエリーへの使用が始まります。
1900年頃に溶融方法が開発されると、フランスのルイ・カルティエらによって本格的なジュエリーへの使用が始まります。
日本にプラチナが本格的に普及し始めたのは大正から昭和初期にかけてですが、当時のプラチナは非常に高価な「高嶺の花」でした。
1960年代(昭和30〜40年代)の高度経済成長期、日本で空前のプラチナブームが起こります。
欧米が「金(ゴールド)」を好むのに対し、日本人はその清楚な白い輝きを好んだため、独自のプラチナ市場が急速に発展しました。
この時代に大量に製造されたのが、現在のPt850の前身にあたる「Pm850」と刻印された製品です。
当時はプラチナ(Platinum)の表記として「Pm」が広く使われていました。
当時は現代ほど品質管理基準が厳密ではなかったため、「Pm850」と刻印されていても、実際のプラチナ含有量が85%を下回っている製品が混在していました。
1970年代以降、日本のジュエリー市場が成熟するにつれ、国際的な取引や品質の標準化が求められるようになります。
国際基準(ISO)や日本ジュエリー協会(JJA)のガイドラインに合わせ、プラチナの表記は「Pm」から世界基準の「Pt」へ統一されました。
日本の造幣局による品位試験(ホールマーク制度)などにより、正確に「85%のプラチナを含む合金」として「Pt850」が厳格に管理・製造されるようになりました。
これにより、消費者が安心して購入できる環境が整います。
現代において、国際基準では「Pt950以上」をプラチナジュエリーと定める国が多い中、日本国内では「Pt850以上」が公式なプラチナジュエリーの最低ライン(基準)として認められています。
当店もブランド品はもちろん、時計・アクセサリー・貴金属・商品券・切手・古銭・古美術品・家電など多種多様に買取を行っておりますので、お気軽にお立ち寄りください。
スタッフ一同皆様のご来店をお待ちしております。
